ギルド・ギターズの誕生から現在までをふり返る短期連載『今ふり返る、ギルド・ギターズの正しい歴史』。第7回は、この世を去った創業者の意志を継ぐものたちによる、1970年代後半の奮闘と未来に向けた新たな挑戦の物語。
文=長谷鉄弘 デザイン=三本昌樹 Photo by Ebet Roberts/Redferns/Getty Images
創業者の意志を継ぐベテランたちの奮闘
1972年5月に起きた航空機事故によるアルフレッド・ドロンジの死は、ギルド・ギターズのスタッフたちに深い悲しみを与えた。アヴネット社による買収後(第4回参照)も社長として頻繁にウェスタリー工場を訪れ、生産現場にまで目を配っていたアルに対する従業員のリスペクトは、1950年代から続く同社のスピリットを形作る大きな柱だったからだ。
しかし、米国のギター市場においてすでにギブソンやマーティン、フェンダー、リッケンバッカーらと肩を並べる規模のメーカーへと成長していたギルドはこの悲劇を乗り越え、1970年代を走り抜けていく。
アルの死後、社長に就任したリオン・テルは1962年の入社以降、法務や経理の分野でギルドを支えてきた古参で、亡き創業者の理念をよく理解していた。彼が率いる経営陣と、1950年代後半のホーボーケン工場期からギター作りの現場を支えてきたカルロ・グレコ(1977年に退社)らベテラン職人たちは、1970年代を通じてアメリカン・ギターを代表するブランドとしてのギルドの地位を守ったのだ。
筆者は1970年代前半~後半に生産されたF-50とF-50Rを愛用しているが、これらを見ても同時期のギルド製品がとても高い品質を持っていたことがわかる。
最大幅=17インチの大きなボディながら、トップのスプルースや“R”のサイド&バックを成すインディアン・ローズウッドにはきめ細かくストレートな杢目を持つ材が使われており、当時のギルドがマテリアルの選別に力を入れていた様子を伝えてくれる。太く握り応えのあるネックは頑丈で、軽微な反りはトラスロッドにより容易に修正可能だ。バインディングの剥がれやピックガード周辺の小規模なトップ割れ(ギルドに限らず古いアコースティック楽器が避けて通れないトラブル)こそ起きているが、ネック・アングルを始めとする寸法に致命的な狂いはない。
このように良質な素材を使い、頑丈に組み上げられた1970年代のギルドは、今日のビンテージ市場でも現役の楽器として使える個体を多く見つけることができる。この状況そのものが、ギルドの高いクラフツマンシップの何よりの証左となるだろう。
時代を先取りする新たなチャレンジ
一方、同時期のシリーズ/モデル・ラインナップに注目すると、伝統の継承と新たな試みの両立を目指したブランドの意向が見えてくる。1950年代の看板商品だったアーチトップ・アコースティック/エレクトリック・ギターはジャズの流行が下火になったことで生産数を減らしていたが、1970年には新世代のスターであるジョージ・ベンソンのためにユニークなデザインを持つカスタム・モデルを製作し、この分野における老舗の実力を示した。
1964年のF-212に始まる12弦フラットトップ・アコースティック・ギター・シリーズは、最大幅=16~18インチの大型ボディが生み出す豊かな音量や、強い弦の張力に耐えるダブル・トラスロッドを組み込んだネックなどのデザインがプレイヤーの高い評価を得て、1970年代には“12弦を選ぶならギルド”と言われるまでになっている。1974年には、ここにドレッドノート・ボディを持つG-212とG-312が加わりラインナップが完成した。
また、パット・メセニーが広告に登場した1975年発売のD-40“C”は、ドレッドノート・ボディを持つフラットトップ・アコースティックに、当時はまだ珍しかったカッタウェイ・デザインを導入したモデルで(先駆的な例としては1950年代のギブソンCF-100/100Eが挙げられる)、1970年代後半以降の量産メーカーや個人製作家に大きな影響を与えている。

著者プロフィール
長谷鉄弘(ながや・てつひろ)◎1970年生まれ。『ギター・マガジン』、『ギター・グラフィック』(いずれも小社刊)などの編集部員を経て1996年に独立。現在はライターとして、『ギター・マガジン』や『アコースティック・ギター・マガジン』、『The Effector Book』(シンコーミュージック)などに寄稿。