初のソロ・アルバム『Speed Of Heart』を発表した、元ドゥービー・ブラザーズ/スティーリー・ダンのジェフ・バクスター。アルバム発売直後というベストなタイミングで実現した、8月13日〜15日までビルボードライブ東京、17日はビルボードライブ横浜の来日公演も大盛況だった。 来日前に行なったインタビューより、第1回の“ニュー・アルバム&来日公演について”はすでに掲載済み。今回はその続編として、“機材、演奏スタイル&これまでの来日について”をお届けしよう。
文/質問作成=近藤正義 インタビュー/翻訳=トミー・モリー Photo by Koh Hasebe/Shinko Music/Getty Images
バーンズのギターで、ドナ・サマーの「Hot Stuff」を演奏したんだよ
以前と比べて、ギター・スタイルに何か変化はありますか?
それはないかな。自分のスタイルが変化したとは思わないね。自分を表現する機会が与えられたら、僕は昔とそんなに大きく変わっていないものを披露するだろう。
もちろん昔より賢くはなったし、若い頃と比べてプレイヤーとしてのレベルは上がったと思う。それは僕が60年間もスタジオ・ミュージシャンとしてやってきたおかげであり、要望されるものなら何でもほとんど自由にプレイできる。僕のスタイルは長年スタジオで経験してきたことの積み重ねだからね。その間、様々なバンドでプレイしてきたから、演奏を聴けばそれが僕だと誰もが言い当てられるようにもなった。
スタジオでの仕事で心がけていることは?
スタジオでバーバラ・ストライサンド、ドリー・パートン、ロッド・スチュワートといったアーティストのレコーディングに参加する時は、それが何であれ彼らが僕に求めるプレイをやるのみだ。もっと言うなら、彼らがぼんやり思い描いているものを具現化しなくちゃならない時もある。“どういったプレイをしてほしいのか、自分たちでもはっきりわからないんだけど、何かいい感じでやってみてくれないか?”、そんな風にリクエストされることも多いんだよ(笑)。
ステージでは座って演奏していますが、どういった理由からなのでしょうか?
それがギターを演奏する正しいフォームだからだよ。僕はそれをアンドレス・セゴビアから学んだ。かつて彼のギターをリペアした時、彼はその部屋にいたほかのミュージシャンに“ネックをカヌーのパドルみたいにして持つんじゃない。楽器をしっかりと自分の体に付けるようにして持つんだ”と言っていた。僕は今でもそれが正しいと思っているよ。
ドゥービー・ブラザーズの来日公演では、バーンズのギターにオレンジ・スクイザーをセットしたりしていましたね。

ハハハ(笑)
フェンダーやギブソンといったいわゆる王道路線のギターから離れていたのはなぜですか?
ドゥービー・ブラザーズでもフェンダーのギターはけっこう演奏していたんだよ。でも、色んなギターを使っていたからね。たしかにバーンズを使っているプロ・ギタリストは珍しいかもしれない。あのギターはドナ・サマーのファースト・アルバムのレコーディングに向かう途中、ギター・センターで見つけて25ドルで買ったものなんだ。だから、あのギターで彼女のヒット曲「Hot Stuff」を演奏したんだよ。
たったの25ドルだったから、あのギターを見つけて買わないという選択肢はなかった。新品の弦を張れば、どんなギターだってご機嫌なギターだからね。新しい弦をセットしている間も時間を気にしながら“早く張り替えてプレイしに行かなきゃ!”って焦っていたくらいだよ。実はあのギターを手に入れるまで、一体どんなサウンドなのか、僕は知る由もなかったんだ。でも実際にプレイしてみたら、ユニークなサウンドをかなり気に入ってしまった。
オレンジ・スクイザーは小さなコンプレッサーで、素晴らしい製品だよ。僕の良き友人であるダン・アームストロングが設計したものなんだ。僕はかつて13~15才の頃、彼のお店で働いていたこともあって、彼が作ったものはすべて僕のお気に入りだったよ。
ドゥービー・ブラザーズの日本公演なんて最高の思い出ばかりだ
70年代のドゥービー・ブラザーズの来日(76年1月、79年2月)、90年代のジョー・ウォルシュたちとのコンサート、斎藤誠とのジョイントなど、日本のファンは何度かあなたの演奏する姿を見る機会がありました。これまでの日本の思い出を聞かせて下さい。
僕はいつも日本でプレイすることを楽しんできた。ドゥービー・ブラザーズの日本公演なんて最高の思い出ばかりだ。ジョー・ウォルシュ、キース・エマーソンとの来日公演だって、それに劣らないよ。あの時はジュリアン・レノンも一緒だったんだ。
日本ではスタジオ・ミュージシャンの仕事として、色んなプレイヤーたちと一緒にレコーディングしたこともあるんだよ。また、斎藤誠とか僕の友人であるギター・プレイヤーと一緒にコンサートをしたこともあった。ビリー・ヴェラ&ザ・ビーターズの一員として日本に行ったこともあって、その時彼らは東京音楽祭のコンテストを勝ち抜いたんだ。僕は彼らのアルバムをプロデュースして、バンドの一員としてもプレイした。
僕は日本で本当にたくさんの経験をしていて、それだけに日本は僕の心に刻まれた大きな場所なんだ。人々だって、素晴らしいことこのうえないよ。特に音楽のこととなると洗練された感じがあって、しかも細かいところにまで興味を持ってくれる。
ギターや機材に関してもそうだね。“あなたのギターのこのスイッチはどんな役割を持っているのですか?”と聞かれれば、僕は喜んでそれを説明してきた。僕は自分でギターを作ったり、電気周りなどをカスタマイズすることもよくあるから、その配線図をメモ用紙に書いて教えてあげることなんて当たり前だったね(笑)。
あなたの愛用する機材についても聞かせて下さい。
知っていると思うけど、僕はローランドと一緒に仕事をしていて、今年で46年目になる。ローランドというメーカーが立ち上がった、ほぼ最初の頃から一緒に仕事をしているんだ。創業時の代表だった梯(郁太郎)さんは僕が若い頃からの知り合いで、ローランド以前の彼がエーストーンの代表だった時にニューヨークで会ったこともある。それだけ強いつながりがあるんだ。
これまでに僕はローランドのカスタム・デザインや電気回路の設計など様々なことを手伝ってきた。だから、僕が関与してきた製品はけっこうあるんだ。ギター・シンセサイザーもその1つだね。
それから、25~30年前に関与したME-10は大好きなマルチ・ギター・エフェクターだよ。僕の好みのサウンドを元に作ってあるから当然なんだけど、今でもこのエフェクターは大好きだね。
そのほかにも新しいGX-100、GT-1000、そしていくつかのリバーブやディレイはエクセレントだよ。アンプはVG-99、JC-120、Blues Cubeなど、たくさんのローランド製品を使ってきた。ローランドから送り出されたG-5ギターは、メキシコ製のフェンダー・ストラトキャスターとローランドのエレクトロニクスを組み合わせたものなんだ。