トム・ジョンストンのツアーからの離脱にともない、ドゥービー・ブラザーズへと加入したマイケル・マクドナルド。時代が求める音楽の変化とマイケルのスタイルから、ドゥービーズの音楽性は徐々に変化していく。その中でギター・サウンドはどのような変化を遂げたのか。
文=近藤正義 Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images
バンド・サウンドの要は、トム・ジョンストンの野性味溢れるロック・ギター
1971年のデビュー・アルバム『ドゥービー・ブラザーズ・ファースト』はほとんど話題にもならず、ドゥービー・ブラザーズのスタートは決して順風満帆というわけではなかった。所属レコード会社のワーナーは早くも見切りをつけようとしていたが、その会社を説得してセカンド・アルバムの制作へと話を進めたのは、プロデューサーのテッド・テンプルマンだった。
その期待に応え、次作『トゥルーズ・ストリート』(1972年)からは「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」、さらに翌年の『キャプテン・アンド・ミー』(1973年)からは「ロング・トレイン・ランニン」、「チャイナ・グローヴ」など疾走感溢れるロック・サウンドでヒットを連発。そして『ドゥービー天国』(1974年)ではケイジャンな「ブラック・ウォーター」が初の全米1位に輝いた。
ジェフ・バクスター(g)が正式加入した75年の『スタンピード』からも「君の胸に抱かれたい」がヒット。デビューから4年をかけてドゥービー・ブラザーズは名実ともにウエストコート・ロックのトップ・バンドになったのだ。
さて、ここまでのバンド・サウンドの要は、トム・ジョンストンの野性味溢れるロック・ギター。そこへパット・シモンズのカントリー/フォーク/ブルースなどがミックスされたルーツ的なギターが絡むことで、独特の味を醸し出すという図式だった。ダブル・ドラムと跳ねたベースが軽快なリズムを刻み、クリーン・サウンドのギター・カッティングが入れば、“これぞドゥービー・ブラザーズのバッキング・サウンド”として世に認知されていたものだった。
マイケル・マクドナルドの加入でAOR感を徐々に強めていく
そこへ初期スティーリー・ダンのオリジナル・メンバーであり、スタジオ・ミュージシャンとしての仕事経験も豊富なジェフ・バクスターが加入したのだから鬼に金棒。バクスターはトムとパットの間を埋めるような良い仕事をした。
その結果として生まれたアルバム『スタンピード』はトムが主導権を握っていた前期ドゥービー・ブラザーズ最後のアルバムであり、5枚目にして最高傑作との評価も高い。ハードロック、カントリー・ロック、フォークなどを内包した、アメリカン・ルーツなウエストコースト・ロックの1つの完成形がここにある。
このようにして70年代初期から盛んになっていったウエストコースト・サウンドの頂点を極めた彼らではあったが、ここで転機が訪れる。
1つ目の転機は音楽シーンの変化である。変化の内容としては、サウンドはハードからソフトへ、ギターはディストーションからクリーンへ、リズムは8ビートから16ビートへ、アレンジとしてはエレクトリック・ピアノやシンセサイザーなどの導入によるキーボード・パートの拡充、などが挙げられる。こういった事態への対応は、当時のロック・バンドとしては避けて通れないモノだったのである。
2つ目の転機は中心メンバーだったトム・ジョンストンが健康状態の悪化からバンドを離脱したこと。これを受けてバンドはトムの代わりとしてのボーカリスト/ギタリストではなく、ボーカリスト/キーボード・プレイヤーでメンバーを補充した。ジェフ・バクスターの推薦で参加した、元スティーリー・ダンのツアー・メンバーだったマイケル・マクドナルドだ。
そして76年に発表された『ドゥービー・ストリート』はバンドの過渡期の作品として興味深い内容となった。トムもまだ数曲に参加しており、初期の雰囲気は少し残しながらも、大半の曲はマイケルのエレクトリック・ピアノとスモーキーなボーカルを中心としたAORへと変化を遂げている。それに伴い、ギターの役割も変化した。時折ディストーション・サウンドのリフやバトルが登場するものの、全体的にクリーン・サウンドによるジャズ/フュージョン的なバッキングやソロが多くなった。
次作『運命の掟』ではその方向性を加速させ、いよいよトムは完全に脱退することになる。ほとんどのギター・パートを弾くことになったバクスターは、このサウンド形態になってもギター・バンドであることを維持するために奮闘している。
方向性が大きく変わっても、ファンをつなぎとめたジェフ・バクスターのギター
そして『ミニット・バイ・ミニット』からは「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」が全米1位をマーク。マイケル加入後としては初、バンドとしては2枚目の全米1位である。このキーボードのリフは一世を風靡したので、聴いたことのない人はいないだろう。このリフを拝借した曲は米国のみならず、日本にも存在したほどである。しかし、ギターの要であるバクスターはこのアルバムを最後に脱退してしまう。
さらに、ジョン・ハートマン(ドラム)も脱退してしまい、大掛かりなメンバーチェンジとなった。新加入のギタリスト、ジョン・マクフィーはコンテンポラリーなサウンドやフレーズで新たなエッセンスをバンドに提供。コンプレッサーやコーラスのかかったクリーン・サウンドによるアルペジオ、単音ミュート、コード・カッティング、そしてエフェクティヴなディストーション・ソロは煌びやかな響きをバンドに加えた。
そして解散前としては最後のアルバム『ワン・ステップ・クローサー』が発表されたが、そのサウンドはもはやまったく別のバンドだった。
マイケル加入後のAOR路線はファンの間でも賛否両論だった。トム時代のドゥービー・ブラザーズか、マイケル加入後のドゥービー・ブラザーズか、ファンを分断する傾向は今も存在する。
そんな状況の中で、トムが中心だった時代のファンをかろうじてつなぎとめていたのはパット・シモンズのボーカルもさることながら、バクスターのギターによる部分も大きかったと思われる。ディストーションのソロは影をひそめるようになったものの、バッキングにおける彼の職人的なタッチのギターは変わっていないからだ。
最後のメンバー・チェンジでジェフ・バクスターからジョン・マクフィーにギタリストが交代した時に、それは明確な事実として浮かび上がったのではないだろうか。