70年代の日本語ロックを代表するバンドのひとつ、センチメンタル・シティ・ロマンス。結成は名古屋、1973年。ウェストコースト・ロックやソウル、フォーク、ジャム・バンド、果てはサンバやレゲエなど、幅広い要素を内包した彼らの音楽には、常に心地よいギターが鳴り響いていた。去る7月に逝去した中野督夫(vo,g)を追悼し、センチの1stから3rdアルバムを“三部作”として、そのサウンドの秘密に迫った本誌2021年10月号の特集から、一部を抜粋してWEBサイズに再編集。特別にその内容をお届けしよう。
文=小川真一
写真提供/協力=センチメンタル・シティ・ロマンス、高山富士子、新倉愛、三浦憲治、ステキッスレコーズ
Contents
1973年、センチメンタル・シティ・ロマンス結成。
初期三部作までの道のり。
日本語ロック? シティ・ポップ? 現代においても様々な解釈ができるスケールの大きなサウンドを作り上げていたセンチメンタル・シティ・ロマンスとは、一体なんだったのか? まずは結成秘話からお届けしよう。
センチメンタル・シティ・ロマンスがデビューした75年当時、
同時代のロック・シーンはどうだった?
日本語ロックの始祖であるはっぴいえんどが72年に解散して以降、国内ロック・シーンは急速に成熟していく。センチ三部作が生まれたこの時代、後の歴史に名を残す新鋭バンドたちが次々と産声をあげていたのだった。
爽快だけど、どこか切ない……
センチメンタル・シティ・ロマンスのツイン・ギターの特異性とは?
センチメンタル・シティ・ロマンスの最大の魅力と言えば、やっぱり2本のギターだ。時に立体的なバッキングを聴かせ、時にドラマチックにハモり、時に伸びやかにインプロをかます。そのスタイルの源流とは?
Interview|告井延隆【Part 1】
デビュー作『センチメンタル・シティ・ロマンス』
れではいよいよセンチの三部作を1枚ずつ紹介していこう。まずは1975年にリリースされた、記念すべき1stアルバム『センチメンタル・シティ・ロマンス』から。告井延隆による、当時の制作秘話を語った貴重なインタビューも必読!
Interview|告井延隆【Part 2】
センチメンタル・シティ・ロマンス2nd『ホリデイ』
ガソリンスタンドの二階で練り上げられた1stアルバムで、一躍シーンに躍り出たセンチメンタル・シティ・ロマンスは、早くも2ndアルバムの制作に着手。三重県のリゾート施設で、まさに“ホリディ”な日々から生まれたのは、日本の音楽史に残る傑作だった。
Interview|告井延隆【Part 3】
センチメンタル・シティ・ロマンス3rd『シティ・マジック』
圧倒的な完成度の2ndアルバム『ホリディ』だったが、思った以上にセールスが伸びず、バンドはレコード会社から契約を切られてしまう。それを受けて制作された3rdアルバム『シティ・マジック』に収録されたのは、歌心あふれる名曲たちだった。